About SHIBUCITY inc.

渋都市株式会社 (SHIBUCITY inc.) は、2018年7月に社名を、渋家株式会社から渋都市株式会社へと変更し、これまでにも増して、何かを成そうとする強い思いを、それを実現する技術を提供することによって支え、新たなクリエイティブ領域を生み出し、家から都市へと、名のごとく街をつくるように、<現実> に魅力ある出会いと遊びを生み出していきます。

渋都市の事業は、レーザーなどの特殊照明やインタラクティブ・テクノロジーを使ったライブ演出、舞台美術制作、イベント運営・プロデュースにはじまり、音楽事業で培った技術やノウハウを活かしながら、展示・店舗のデコレーション、イルミネーション装飾、文化事業の制作・広報、動画制作、Webサイト制作、メディア運営など、エンターテイメント事業全般へと業務を拡大させています。

想像もつかないような成果は、想像できる範囲からは生まれません。流行・嗜好が多様化している時代だからこそ、未知なる余地を大切にし、良い方向に逸脱した人の異なる個性を掛け合わせることによって、単独では思いつくことができないようなアイデアを創出し、何よりも重要な世界を変えるという困難な課題に挑んでいきます。

型破りを許容できる組織は、時代を超えて発展できる組織だと信じています。出会うことによって、人びとが空間となり、表現し、繋がり、新たな何かを企む舞台をつくる。これから渋都市の発展にご期待ください。

2018年7月10日 渋都市株式会社

HISTORY

目的を定めずに出会い、
その関係のありえる物語を語り、
想像をすべて<現実>にする。

2008年、渋都市株式会社の前身となる渋家が始動しました。予備校の美術クラスの学生5人が集まり始まった渋家は、世代交代をしながら10年を経て、現在もまだ何者でもない何かを成そうとする若い人が集う拠点となっています。

渋都市株式会社は、設立の基盤となった渋家の互いの異質に敬意を抱きながら、相手の思考と行動に影響を及ぼす顔の見える関係性と、その関係性を見知らぬ人びとにも延長していく可動性を失うことなく、現在の社会の課題や情勢の変化を捉え、自分たちのありえる物語を想像し、今後の目指すべき<現実>を見据えていきます。

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渋家 (シブハウス) は、2008年に美術家・齋藤恵汰の「美術作品として家を借りる」という発案により始動したプロジェクト。メンバーは年齢や職業を問わず、生活や活動も固定されない。活動において共通しているのは、そのすべてが共同作業であるということであり、全体として機能が果たされる表現を生み出すことが特色である。近年は「アーティストのための住む部室」「クリエイターが集う秘密基地」などと称される。

http://shibuhouse.com/

 

渋家沿革

2008.04
予備校の美術クラスの学生5人が集まり、目黒区・池尻大橋の6帖2間の2DKのアパートを拠点に「渋家 (シブハウス) 」が始動 (始動当初の名称は「ヘルハウス」) 。1st house期の代表は齋藤恵汰。

2009.11
目黒区・駒場東大前の2階建ての戸建てに拠点を移転。2nd house期の代表はとしくに。

毎月開催の「渋家ホームパーティ」がはじまり、渋家の原型が立ち現れる。そのほか黎明期の主な活動としては、展覧会「お好きなものをお選びください展」「リンカイ展」、パフォーマンス公演「フラグメントシアター/断片化の解消」「渋家パーティー」の主催などがある。

2010.10
渋家設立メンバーである美術家・中島晴矢が、渋家を会場とした美術展「渋家トリエンナーレ」を立案。クリストの作品群をパロディとして扱った漫画『すごいよ!マサルさん』(うすた京介) の言わばパロディのパロディとして、家に布を覆いかぶせる計画が構想される。展覧会直前、計画を実行に移したところ、強制退去。SNS上で話題となり渋家の名が大きく広まる。

黎明期から2nd houseの強制退去、3rd houseへの引越し期については、後に、スペースシャワーTV 「Nandacoole-ナンダコーレ-」 にて、映像作品「END OF HOUSE」「HOUSE IN WONDERLAND」として公開している。

2010.11
渋谷区・恵比寿にある雑居ビルの2Fと3Fと屋上という物件に拠点を移転。3rd house期の代表は増沢大輝。

こけら落としとして美術展「渋家トリエンナーレ」を開催。その後、「渋家」名義にて、アートフェア「ULTRA004」や企画展「わくわく SHIBUYA」「ArtGigTokyo2 – 怖いよ、ママー! -」への出展のほか、「鬼盛り☆ブート・キャンプ」「VIVA☆CO」などの展覧会を主催。

また、Maltine Records主宰・tomadとの出会いをきっかけとして、民家を会場としたDJイベントとして4th houseの地下クヌギの前身となる「house nation」などの企画をはじめる。

こうした活動を経て、雑誌「朝日ジャーナル」に、取材記事「特集 日本破壊計画|シェアハウスの人々」が掲載されるなど、堅調にカルチュラル・ネットワークを拡充していくが、3rd houseが入居する雑居ビルの1Fには”静寂”をテーマとしたフランス料理屋が営業しており、再び引越しを余儀なくされる。

引越し費用、270万円。メンバー一丸となっての日払いアルバイト日々。それを毎日交通費と食費以外を全て引越し費用へ。知り合いという知り合いに頼みこみお金を借りる。各々親へも頼む。そしてインターネットでの呼びかけ。たくさんの人々の協力のなか、ついに2011年7月末、引越しが確定する。

2011.08
渋谷区・南平台町の地上3階、地下1階、4LDKの一軒家に拠点を移転。

4th houseの入居時の代表であり、渋家4代目代表は加治屋文晶。2012年9月には、5代目代表に菅井早苗が就任。2013年11月には、6代目代表に齋藤恵汰が就任。

フロア面積の拡大と地下クヌギでのDJイベントの本格化による盛り上がりにより、5人からはじまり、4th houseの入居当初20人だったメンバー数は、最大48人まで増える。

この時期、NOTTV「#エンダンW」、BBC Three「Japan, Fall of the Rising Sun」、フジテレビ「もはや神ダネ!」に取材を受けた番組が放映されるほか、齋藤恵汰のNHK Eテレ「ニッポンのジレンマ」への出演、「朝日新聞」に取材記事「ひとつ屋根の下、飛躍もシェア」の掲載など、メディアの露出が相次ぐ。

4th house期のアート領域での「渋家」名義の活動としては、「HOUSE 100」「After Nuclear Family」「イケる気がする展」などの展覧会を主催。「アートフェア東京」への出展作品「Owner Change」はフェア史上最高額となる2億5千万円の作品として「NHKニュース7」にて取り上げられる。

また、「六本木クロッシング展」全国のディスカーシブ・プラットホーム選出を受け、森美術館にて開催されたシンポジウムに齋藤恵汰と上妻世海が参加し、論考「“集団と生成の美学”とプロトタイプとしての“渋家”について」の発表をおこなった。

そして、4th house期は、3rd houseに芽生えた音楽領域の活動が、渋家地下クヌギにより本格化し、内部から外部へと活動の機会が広がっていく。「REPUBLIC VOL.9 – 映像作家100人 -」「REPUBLIC VOL.10 – THE FINAL -」「DUM-DUM PARTY 2013」「VIVIVI」「OL Killer presents“WIFE”vol.5」への出演、Maltine Records presents「歌舞伎町マルチネフューチャーパーク」「山」「東京」「天」の演出、exonemo、渋家、Maltine Records 連名作品「VideoBomber」の 「第17回 文化庁メディア芸術祭」 審査委員会推薦作品選出などが、後の渋家株式会社の設立への下地となっていく。

2014.07
渋家7代目代表にちゃんもも◎が就任。

7代目代表にちゃんもも◎が就任。この時期の渋家については、「クイック・ジャパン」 (vol.113) [太田出版] に、としくに、tomad、ちゃんもも◎、齋藤恵汰による座談会記事が掲載されているほか、ちゃんもも◎と渋家の関りについては、自身の半生を綴った自叙伝「イマドキ、明日が満たされるなんてありえない。だから、リスカの痕ダケ整形したら死ねると思ってた。」にて語られている。

2015.04
渋家8代目代表にYAVAOが就任。

2015.08
2015年8月に渋家の音楽領域での活動や、渋家から生まれたアーティストユニット・huezの活動が大きく飛躍し、「ゆず 弾き語りライブ 2015 二人参客 in 横浜スタジアム」に参加。

ライブ中盤に設けられた約20分間のショーケース「柚渋メドレー」でのゆずとの共演、ショーの演出、振付、ダンスパフォーマンス、楽曲・映像制作、LEDスケルトンDJブース製作およびライティング、寸劇の台本制作などを手掛ける。また、後にゆずと渋家がコラボレーションしたライブ音源「柚渋メドレー」は12inchレコードとして発売される。

2016.01
渋家とhuezを母体として渋家株式会社を設立。代表取締役に山口季邦 (としくに) 、取締役に小池将樹 (YAVAO)、監査役に齋藤恵汰が就任。

2016.04
渋家9代目代表にとしくにが就任。

渋家株式会社の設立や、渋家出身アーティストの活躍を受け、渋家のリクリエーションを試みるために、家でのホームパーティなどの企画が休止される。

2017.04
当時19歳のKENTが、新世代の渋家をつくると、代表に名乗りを上げ渋家10代目代表に就任。

渋家に設立当初から関わる、齋藤恵汰、としくに、YAVAO、石田祐規らの初期メンバーは渋家の運営から離れる。

2018.01
渋家11代目代表にiddiが就任。

iddi、KENTらにより渋家のメンバーが大幅に変わり、平均年齢が20台前半へと一新される。

2018.05
渋家設立10周年を祝した記念イベント「Home Party」を、MAGNET by SHIBUYA109 屋上「MAG’s PARK」にて開催。

2018.07
渋家株式会社が「渋都市株式会社」に社名変更。